秋の日誌

Autumn Journal

乱世の時代をしなやかに

omotesandoh le 9 janvier 2019, mercredi, beau temps

快晴&寒風吹きすさぶ東京は表参道の骨董通りを今年も足早に闊歩する。コートのポケットに手を突っ込み、前のめりでザクザク歩くその姿は、傍から見れば、たいそう剣呑だろう。ショーウィンドウに映る不機嫌そうな横面よ。

今日は一日中、堀田善衞のことを考えていた。あるいは、宮崎駿、池澤夏樹、鹿島茂らが語る堀田善衞の肖像を。朝の井ノ頭線で「堀田善衞を読む」(集英社新書)を読んでいた、ということもある。それが契機で、去年の3月から5月にかけて、彼の晩年の大作「ミシェル 城館の人」(集英社文庫)に夢中になっていたのに気がついた、ということもある。

しかし、僕が今日、堀田善衞を「思い出した」のは、それらだけが原因なのではない。僕の中にある「堀田善衞的な存在」への郷愁がどうにも抑えきれなくなったからだ。

Self-portrait at 69 Years by Francisco de Goya.jpg
By フランシスコ・デ・ゴヤ - Fig 18 from Self Portrait: Renaissance to Contemporary (Anthony Bond, Joanna Woodall, ISBN 978-1855143579)., パブリック・ドメイン, Link 

乱世の時代をしなやかに、そして、したたかに生き延びようとする強靭で柔軟性に溢れた意志、融通無碍で自由奔放な価値観――。「方丈記私記」の鴨長明や、「ゴヤ」のフランシスコ・デ・ゴヤ、「ミシェル 城館の人」のミシェル・エーケム・ド・モンテーニュを通じて堀田善衞が描いた知性は僕に、著書を通じてしか知らない堀田善衞という人物のイメージを強烈に刷り込んだ。その人物像は結局は虚像に過ぎないとしても、ついつい止まりがちな僕の足を一歩前に出すための原動力となっている。

福音主義者たち

kichijoji le 30 novembre 2018, vendredi, beau temps

空気が冷たくなってきた。乾いた落葉を踏みしめながら、玉川上水緑道を駅に向かういつもの朝である。建物が取り壊され、更地になり、基礎工事が始まって、新しい建物ができる。毎朝、数分の観察でも数ヶ月が積み重なれば、いつの間にか街の風景が変わっている。新しい風景に馴染むと、かつてそこにあったものを思い出すことさえ難しい。僕たちはそうやって、風景の記憶を上書きしていく。

……ローウッドの慈善学校に送られたジェイン・エアは、ヘレン・バーンズという福音主義者の少女とかすかに心を通わせる。それはリード夫人の館にいた召使いベッシーとの交歓と同様、過酷な環境にあって、彼女にとってはささやかな慰めだった。しかし、そんなひとときの平和も、学校長であり、なおかつ厳格な福音主義者でもあるブロックルハースト氏の仕打ちによって無残にも打ち砕かれる。

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By F. H. Townsend, 1868-1920 - http://www.gutenberg.org/files/1260/1260-h/images/, パブリック・ドメイン, Link

十九世紀半ばに大英帝国で刊行されたシャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」(翻訳=河島弘美、岩波文庫)――、その冒頭部分の展開である。ローウッド時代のジェインはまだ九歳。無慈悲で不寛容な多くの人々に失望しつつも、彼女は生きる希望の探索を諦めない。朝の京王井の頭線で僕は大抵、このような旧時代の小説に読み耽っている。周りの人がするように、スマートフォンのディスプレイを眺める気にはどうしてもなれないのだ。せめて朝の時間くらいは現代を忘れていたい。いつも未来を追いかけている(あるいは、追いかけられている)感じの今の僕の生活は、確かにそれなりに愉快なものではあるけれど、インターネットがなかった時代と現在を比べてみて、果たして人が感じる人生の幸福感にどれほどの違いがあるのかと考えると、必ずしも技術革新が人類の幸福度の向上に寄与したとは、自信を持っては言えない。少なくとも、ジェインの時代の幸福と、(AIがかつての神の座を占めつつある)現代の僕たちの幸福の質には、それほど大きな違いはない。

観てない映画

Mitaka le 16 novembre 2018, vendredi, beau temps

2013年にイギリス映画協会が世界の映画監督(358人)に投票を依頼した「映画のオールタイム・ベスト」というリストがある。このリストのうち、僕が観ていない映画がどのくらいあるのか確認してみた。☆はそのうち観ようと思ってDVDを購入したけれど、まだ観ていない作品、★はいつかは観たいと思っているけど、その日がいつ来るのか分からない作品。あらためて見ると、イングマール・ベルイマンについては『仮面/ペルソナ』しか観たことがないし、ファスビンダー、ミケランジェロ・アントニオーニもほとんど観ていないことに気がついた。そして『戦艦ポチョムキン』もちゃんと通して観ていなかった。

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  • 1位:『東京物語』“Tokyo Story”(1953/日) 監督:小津安二郎
  • 2位:『2001年宇宙の旅』“2001: A Space Odyssey”(1968/米・英) 監督:スタンリー・キューブリック
  • 2位:『市民ケーン』“Citizen Kane”(1941/米) 監督:オーソン・ウェルズ
  • 4位:『8 1/2』“8 1/2”(1963/伊) 監督:フェデリコ・フェリーニ
  • 5位:『タクシー・ドライバー』“Taxi Driver”(1976/米) 監督:マーティン・スコセッシ
  • 6位:『地獄の黙示録』“Apocalypse Now”(1979/米) 監督:フランシス・フォード・コッポラ
  • 7位:『ゴッドファーザー』“The Godfather”(1972/米) 監督:フランシス・フォード・コッポラ
  • 7位:『めまい』“Vertigo”(1958/米) 監督:アルフレッド・ヒッチコック
  • ★9位:『鏡』“Mirror”(1974/ソ連) 監督:アンドレイ・タルコフスキー
  • 10位:『自転車泥棒』“Bicycle Thieves”(1948/伊) 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
  • 11位:『勝手にしやがれ』“Breathless”(1960/仏) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
  • 12位:『レイジング・ブル』“Raging Bull”(1980/米) 監督:マーティン・スコセッシ
  • 13位:『仮面/ペルソナ』“Persona”(1966/スウェーデン) 監督:イングマール・ベルイマン
  • 13位:『大人は判ってくれない』“The 400 Blows”(1959/仏) 監督:フランソワ・トリュフォー
  • ★13位:『アンドレイ・ルブリョフ』“Andrei Rublev”(1966/ソ連) 監督:アンドレイ・タルコフスキー
  • ☆16位:『ファニーとアレクサンデル』“Fanny and Alexander”(1984/スウェーデン) 監督:イングマール・ベルイマン
  • 17位:『七人の侍』“Seven Samurai”(1954/日) 監督:黒澤明
  • 18位:『羅生門』“Rashomon”(1950/日) 監督:黒澤明
  • 19位:『バリー・リンドン』“Barry Lyndon”(1975/英・米) 監督:スタンリー・キューブリック
  • ★19位:『奇跡』“Ordet”(1955/ベルギー・デンマーク) 監督:カール・ドライヤー
  • 21位:『バルタザールどこへ行く』“Au hasard Balthazar”(1966/仏・スウェーデン) 監督:ロベール・ブレッソン
  • 22位:『モダン・タイムス』“Modern Times”(1936/米) 監督:チャーリー・チャップリン
  • ★22位:『アタラント号』“L’Atalante”(1934/仏) 監督:ジャン・ヴィゴ
  • ☆22位:『サンライズ』“Sunrise: A Song of Two Humans”(1927/米) 監督:F・W・ムルナウ
  • ☆22位:『ゲームの規則』“La Règle du jeu”(1939/仏) 監督:ジャン・ルノワール
  • 26位:『黒い罠』“Touch Of Evil”(1958/米) 監督:オーソン・ウェルズ
  • 26位:『狩人の夜』“The Night of the Hunter”(1955/米) 監督:チャールズ・ロートン
  • 26位:『アルジェの戦い』“The Battle of Algiers”(1966/伊・アルジェリア) 監督:ジッロ・ポンテコルヴォ
  • 26位:『道』“La Strada”(1954/伊) 監督:フェデリコ・フェリーニ
  • 30位:『ストーカー』“Stalker”(1979/ソ連) 監督:アンドレイ・タルコフスキー
  • 30位:『街の灯』“City Lights”(1931/米) 監督:チャーリー・チャップリン
  • ☆30位:『情事』“L’avventura”(1960/伊) 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ 
  • 30位:『フェリーニのアマルコルド』“Amarcord”(1973/伊・仏) 監督:フェデリコ・フェリーニ
  • 30位:『奇跡の丘』“The Gospel According to St Matthew”(1964/伊・仏) 監督:ピエロ・パオロ・パゾリーニ
  • 30位:『ゴッドファーザー PartⅡ』“The Godfather Part II”(1974/米) 監督:フランシス・フォード・コッポラ
  • ★30位:『炎628』“Come And See”(1985/ソ連) 監督:エレム・クリモフ
  • 37位:『クローズ・アップ』“Close-Up”(1990/イラン) 監督:アッバス・キアロスタミ
  • 37位:『お熱いのがお好き』“Some Like It Hot”(1959/米) 監督:ビリー・ワイルダー
  • 37位:『甘い生活』“La dolce vita”(1960/伊) 監督:フェデリコ・フェリーニ
  • 37位:『裁かるゝジャンヌ』“The Passion of Joan of Arc”(1927/仏)  監督:カール・ドライヤー
  • 37位:『プレイタイム』“Play Time”(1967/仏) 監督:ジャック・タチ
  • 37位:『抵抗(レジスタンス)/死刑囚の手記より』“A Man Escaped”(1956/仏) 監督:ロベール・ブレッソン
  • ★37位:『ビリディアナ』“Viridiana”(1961/西・メキシコ) 監督:ルイス・ブニュエル
  • 44位:『ウエスタン』“Once Upon a Time in the West”(1968/伊・米) 監督:セルジオ・レオーネ
  • 44位:『軽蔑』“Le Mépris”(1963/仏・伊・米) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
  • 44位:『アパートの鍵貸します』“The Apartment”(1960/米) 監督:ビリー・ワイルダー
  • ★44位:『狼の時刻』“Hour of the Wolf”(1968/スウェーデン) 監督:イングマール・ベルイマン
  • 48位:『カッコーの巣の上で』“One Flew Over the Cuckoo's Nest”(1975/米) 監督:ミロス・フォアマン
  • 48位:『捜索者』“The Searchers”(1956/米) 監督:ジョン・フォード
  • 48位:『サイコ』“Psycho”(1960/米) 監督:アルフレッド・ヒッチコック
  • ★48位:『カメラを持った男』“Man with a Movie Camera”(1929/ソ連) 監督:ジガ・ヴェルトフ
  • ★48位:『SHOAH』“Shoah”(1985/仏) 監督:クロード・ランズマン
  • 48位:『アラビアのロレンス』“Lawrence Of Arabia”(1962/英) 監督:デイヴィッド・リーン
  • ★48位:『太陽はひとりぼっち』“L'eclisse”(1962/伊・仏) 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
  • 48位:『スリ』“Pickpocket”(1959/仏) 監督:ロベール・ブレッソン
  • ★48位:『大地のうた』“Pather Panchali”(1955/印) 監督:サタジット・レイ
  • 48位:『裏窓』“Rear Window”(1954/米) 監督:アルフレッド・ヒッチコック
  • 48位:『グッドフェローズ』“Goodfellas”(1990/米) 監督:マーティン・スコセッシ
  • ★59位:『欲望』“Blow Up”(1966/英) 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
  • 59位:『暗殺の森』“The Conformist”(1970/伊・仏・西独) 監督:ベルナルド・ベルトルッチ
  • 59位:『アギーレ 神の怒り』“Aguirre, Wrath of God”(1972/西独) 監督:ヴェルナー・ヘルツォーク
  • ★59位:『ガートルード』“Gertrud”(1964/デンマーク) 監督:カール・ドライヤー
  • 59位:『こわれゆく女』“A Woman Under the Influence”(1974/米) 監督:ジョン・カサヴェテス 59位:『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』“The Good, the Bad and the Ugly”(1966/伊・米) 監督:セルジオ・レオーネ
  • 59位:『ブルー・ベルベット』“Blue Velvet”(1986/米) 監督:デイヴィッド・リンチ
  • 59位:『大いなる幻影』“La Grande Illusion”(1937/仏) 監督:ジャン・ルノワール
  • ★67位:『地獄の逃避行』“Badlands”(1973/米) 監督:テレンス・マリック
  • 67位:『ブレードランナー』“Blade Runner”(1982/米) 監督:リドリー・スコット
  • 67位:『サンセット大通り』“Sunset Blvd.”(1950/米) 監督:ビリー・ワイルダー
  • 67位:『雨月物語』“Ugetsu monogatari”(1953/日) 監督:溝口健二
  • 67位:『雨に唄えば』“Singin'in the Rain”(1951/米) 監督:スタンリー・ドーネン & ジーン・ケリー
  • 67位:『花様年華』“In the Mood for Love”(2000/香港) 監督:ウォン・カーウァイ
  • ★67位:『イタリア旅行』“Journey to Italy”(1954/伊) 監督:ロベルト・ロッセリーニ
  • 67位:『女と男のいる舗道』“Vivre sa vie”(1962/仏) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
  • ★75位:『第七の封印』“The Seventh Seal”(1957/スウェーデン) 監督:イングマール・ベルイマン
  • ★75位:『隠された記憶』“Hidden”(2004/仏・オーストリア・伊・独) 監督:ミヒャエル・ハネケ
  • ☆75位:『戦艦ポチョムキン』“Battleship Potemkin”(1925/ソ連) 監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン
  • 75位:『M』“M”(1931/独) 監督:フリッツ・ラング
  • 75位:『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』“There Will Be Blood”(2007/米) 監督:ポール・トーマス・アンダーソン
  • 75位:『シャイニング』“The Shining”(1980/英) 監督:スタンリー・キューブリック
  • 75位:『キートンの大列車追跡』“The General”(1926/米) 監督:バスター・キートン & クライド・ブラックマン
  • 75位:『マルホランド・ドライブ』“Mulholland Dr.”(2001/米) 監督:デイヴィッド・リンチ
  • 75位:『時計じかけのオレンジ』“A Clockwork Orange”(1971/米) 監督:スタンリー・キューブリック
  • ★75位:『不安と魂』“Fear Eats the Soul”(1974/西独) 監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
  • ★75位:『ケス』“Kes”(1969/英) 監督:ケン・ローチ
  • 75位:『ハズバンズ』“Husbands”(1975/米) 監督:ジョン・カサヴェテス
  • 75位:『ワイルドバンチ』“The Wild Bunch”(1969/米) 監督:サム・ペキンパー
  • 75位:『ソドムの市』“Salo, or The 120 Days of Sodom”(1975/伊・仏) 監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ
  • 75位:『JAWS/ジョーズ』“Jaws”(1975/米) 監督:スティーヴン・スピルバーグ
  • ☆75位:『忘れられた人々』“Los Olvidados”(1950/メキシコ) 監督:ルイス・ブニュエル
  • 91位:『気狂いピエロ』“Pierrot le fou”(1965/仏・伊) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
  • 91位:『アンダルシアの犬』“Un chien andalou”(1928/仏) 監督:ルイス・ブニュエル
  • 91位:『チャイナタウン』“Chinatown”(1974/米) 監督:ロマン・ポランスキー
  • ★91位:『ママと娼婦』“La Maman et la putain”(1973/仏) 監督:ジャン・ユスターシュ
  • ★91位:『美しき仕事』“Beau Travail”(1998/仏) 監督:クレール・ドゥニ
  • 91位:『オープニング・ナイト』“Opening Night”(1977/米) 監督:ジョン・カサヴェテス
  • 91位:『黄金狂時代』“The Gold Rush”(1925/米) 監督:チャーリー・チャップリン
  • ☆91位:『新学期・操行ゼロ』“Zero de Conduite”(1933/仏) 監督:ジャン・ヴィゴ
  • 91位:『ディア・ハンター』“The Deer Hunter”(1977/米) 監督:マイケル・チミノ
  • 91位:『ラルジャン』“L' argent”(1983/仏・スイス) 監督:ロベール・ブレッソン

www.bfi.org.uk

現世と他界の境界で――西福寺の「檀林皇后九相図」を見る

Kyoto, le 27 octobre 2018, samdi, beau temps

「京都非公開文化財特別公開」のプレスイベント出席に合わせ、「檀林皇后九相図」を見に、京都市東山区轆轤町の西福寺(さいふくじ)を訪れた。轆轤町界隈の六道の辻は、平安京の火葬地であった鳥辺野の入り口に当たる。現世と他界の境界と考えられてきた場所。小野篁が冥界通いに使った井戸で有名な六道珍皇寺も近くにある。

今回、西福寺では修理・修復が完了した「南瞻部州(なんせんぶしゅう)万国掌菓之図」と海北友松の筆による「布袋図」を初めて公開する。昨年同様「檀林皇后九相図」も一般公開する。

「檀林皇后九相図」と聞いてピンと来ない人でも「巷説百物語」(京極夏彦、角川書店)の一篇「帷子辻」と言えば、あるいは、心当たりがあるかもしれない。江戸時代後期の戯作者 桃花園三千麿(桃山人あるいは桃花山人と記される)による「絵本百物語」(挿絵:竹原春泉斎)の「帷子辻」をモチーフとした物語だ。江戸時代の京都・帷子辻に幾度も現れる女性の死体の謎を描く。

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By Takehara Shunsen (竹原春泉) - ISBN 4-0438-3001-7., パブリック・ドメイン, Link

檀林皇后と呼ばれた嵯峨野天皇の皇后 橘嘉智子(たちばな かちこ、786年〜850年)は、自らが深く帰依する仏教の無常観、諸行無常の真理を人々の心に呼び起こすため、死に臨んで自分の亡骸を埋葬せず、辻に打ち捨てよと遺言したという。皇后の遺体が置かれた場所を人々は経帷子(死装束)にちなんで帷子辻と呼んだ。皇后の棺を覆っていた帷子が風に飛ばされ、舞い落ちた地名を帷子辻としたなどの異説もある。そんな檀林皇后の亡骸の推移を九つの場面に分けて描写したのが「檀林皇后九相図」である。

仏教の不浄観のうち、人間の死体を九段階に分けて観相(瞑想の一種)することを九想観という。出家者は自身や他者の肉体に対する執着を断ち切るために、人間の身体に関する不浄の様子、つまり、髪、皮膚、内臓、体液、骨、筋肉、あるいは死体そのものを細部に至るまで極めて詳細に具体的に、そして、リアルに想像する。その観相のステップを九つに分割したということ。中国・隋の時代に天台宗を確立した智顗(ちぎ、538年〜597年)の観想法の講話「摩訶止観」(潅頂(かんじょう)が筆録)が、日本の九相観に直接的な影響を与えている。「摩訶止観」で説かれる九相は以下のようなもの。Wikipediaの「九相図」解説がシンプルで分かりやすいので、それらを引用する。

  1. 脹相(ちょうそう) -死体が腐敗によるガスの発生で内部から膨張する
  2. 壊相(えそう) - 死体の腐乱が進み皮膚が破れ、壊れはじめる
  3. 血塗相(けちずそう) - 死体の腐敗による損壊がさらに進み、溶解した脂肪・血液・体液が体外に滲みだす
  4. 膿爛相(のうらんそう) - 死体自体が腐敗により溶解する
  5. 青瘀相(しょうおそう) - 死体が青黒くなる
  6. 噉相(たんそう) - 死体に虫がわき、鳥獣に食い荒らされる
  7. 散相(さんそう) - 以上の結果、死体の部位が散乱する
  8. 骨相(こつそう) - 血肉や皮脂がなくなり、骨だけになる
  9. 焼相(しょうそう) - 骨が焼かれ、灰だけになる

九相図にはさまざまなバリエーションがあり、上記の九相を踏襲しない九相図も存在する。「檀林皇后九相図」はまさにそれで、最初の場面は 「第一新死想」として、臨終を迎えようとする檀林皇后を親族が看取る図である。「第二膨張想」は「脹相」にあたり、「第三血塗想」が「壊相」および「血塗相」に重なる。「第四蓬乱想」は「膿爛相」だろう。しかし、「第五噉食想」と「第六青瘀想」はそれぞれ「摩訶止観」の第六相「噉相」と第五相「青瘀相」というように、入れ替わった順番で対応している。「第七白骨連想」「第八骨散想」も、(「摩訶止観」の)第七相「散相」、第八相「骨相」の順序を変えて対応すると同時に、各相の解釈に若干の違いが生じている。「檀林皇后九相図」では亡骸は骨となった後に散逸するのだが、「摩訶止観」ではまず五臓が散らばり、その後、骨となる。「第九古墳想」には墓と倒れた卒塔婆が描かれる。

檀林皇后のような特定の人物になぞらえた九相図にはほかに小野小町のもの(「小野小町九相図」(京都・安楽寺))がある。従来、九相図は男性出家者の煩悩滅却を目的として制作された図像と解釈されてきたが、山本聡美教授(共立女子大学・日本中世絵画史)は「九相図をよむ 朽ちゆく死体の美術史」(角川選書)の中で、九相図と説話との連結を指摘しながら、「女性教化の方便としても大いに利用されたのではないだろうか」(p.121)と書く。つまり、「小野小町を通じて語られる驕慢への戒め」や「檀林皇后説話を通じた女人開悟譚」という具合に、女性を教え、導く物語としての機能を九相図にみる。九相図の主体が女性であることのひとつの解釈として、この現代的な視点はとても興味深い。

冒頭に記した京極夏彦の小説では、作品の結構に仏教説話としての九想観説話を組み入れながらも、実際に死体を前にしてしまった人間が直面するであろう哀しくも凄惨な心の動きを描写する。宗教の力を持ってしても救えない(かもしれない)人間のある種の現実を鋭く抉り出す。

「幾度も申し上げますが、そこなる屍体はただのモノで御座居ます。そこまでモノに拘泥るは妄執以外の何物でもない! 死者は既に――」
 そこにはおりませぬ、と御行は言った。
(中略)
「生きた躰そのものが魂で御座居ます。生き残った者の心中にこそ――冥府はあるので御座居ます」

現世でのいかなる生をも肯定し、肉体と魂の不可分を説くことで作者は、生きながら地獄をさまよう人間を救おうとする。この短篇小説もまた、九相図の現代的な解釈を提供する優れた範例であると思う。

「京都非公開文化財特別公開」は2018年11月1日〜11日まで。京都市内16ヵ所、八幡市内2ヵ所の計18ヵ所を公開する。

関連リンク

【特別公開】平成30年度「第54回京都非公開文化財特別公開」のお知らせ

九相図をよむ 朽ちてゆく死体の美術史 (角川選書)

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死を想え 『九相詩』と『一休骸骨』 (ブックレット“書物をひらく”)

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巷説百物語 (角川文庫)

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「死の古美術 第15回 醜と美」(BOOK PEOPLE)
西福寺 (京都市東山区) - Wikipedia
六道珍皇寺 - Wikipedia
鳥辺野 - Wikipedia
帷子辻 - Wikipedia
九相図 - Wikipedia
橘嘉智子 - Wikipedia 
絵本百物語 - Wikipedia

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荊棘が満ちる

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2018年10月13日(土) 曇り

明日のロードレースに備えて、新潟県越後湯沢駅前の旅館に泊まっている。夜は地元の呑み屋を予約している。喉黒(アカムツ)の丸焼きとしめじの天麩羅を食べようという趣向だが、店が開くまであと数時間ある。僕は部屋にこもって、音楽を聞きながら読書をしている。旅先でも普段の生活とたいして変わりはない。

家から持ってきた朝日新聞の十三面にケイト・ラワース(オックスフォード大学・経済学)のインタビュー記事が載っている。彼女の著書「ドーナツ経済学が世界を救う」(河出書房新社)を踏襲したもの。右肩上がりの成長を前提とした主流派経済学を批判し、循環型のシステムをサポートする理論の構築と啓蒙に力を注ぐ。現状を“旧弊な世界”と断じ、価値観の転倒を目指す道には常に荊棘(いばら)が満ちる。埃をかぶった価値観に囚われているのは必ずしも前世紀に人生の大半を送った人々に限らない。十代、二十代の頑迷さ、古臭さを侮るべきではない。無知と未経験は人を枯らす。

書評欄の広告面で、岩波書店から加藤周一、堀田善衛に関する本が出版されることを知る。前者は加藤周一と親交のあった鷲巣力による評論。後者は堀田善衛の娘(堀田百合子)が執筆した評伝。いずれも鬼籍に名を記された男たちだが、その思索の瑞々しさ、スケールの大きさにおいて次世代に通用する新しさ、前衛性を保っている。

新聞と合わせて、旅の友に「元年春之祭」(陸秋槎、稲村文吾、早川書房)をバックパックに忍ばせてきた。前漢時代の中国を舞台とした本格探偵小説。「13・67」(早川書房)の台湾人作家 陳浩基といい、近年、華文本格探偵小説の躍進が華々しい。陸秋槎は1988年北京生まれの中国人だが、日本の新本格探偵小説の洗礼を受けて作家を志した。綾辻行人、法月綸太郎、有栖川有栖、北村薫、京極夏彦、そして、彼らの指導者としての島田荘司。日本における本格探偵小説の衣鉢を継ぐのが中華圏の若手作家であるという現象はとても興味深い。

ドーナツ経済学が世界を救う

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加藤周一はいかにして「加藤周一」となったか――『羊の歌』を読みなおす

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ただの文士――父,堀田善衞のこと

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13・67

13・67

 
元年春之祭 (ハヤカワ・ミステリ)

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資本主義の先へ

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2018年7月15日(日) 晴れ

1990年の時点で経済学者の岩井克人は、社会主義の崩壊を“完成に向かう世界資本主義の運動”と捉えていた(「終わりなき世界」、太田出版)。極めて適切な分析であったと今なら思えるが、当時、十代後半だったわたしには、インターネットによる市場のグローバル化後の世界の在り様を予測することなどまったくできなかった。まして、「世界資本主義=グローバリゼーション」の行き着く先に、保護主義復活の兆しが現れるなどとどうして想像できよう。あろうことか、その急先鋒がアメリカであり、中国が自由貿易主義の擁護を始めようなどとは。

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資本主義は国家の支えがあってこそ花開く。あるいは最後の貸し手である中央銀行の存在があってこそ。ドイツの経済ジャーナリスト ウルリケ・ヘルマンの立場からすれば、いわゆる新自由主義者の思想は、市場経済という無邪気なフィクションに基づいた単なる空想に過ぎないことになる。グリーンスパンからバーナンキの時代が終わり、いまやジャネット・イエレンがFRBの議長だ。資本主義の「解釈」がぐるぐる変わるたいへんスリリングな時代である(2016年2月28日)。

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アメリカ合衆国を軸とした世界秩序に大きな変化が訪れている。いまや、中国の政治的・経済的な台頭を無視して世界情勢を語ることは完全に不可能だ。IMFのSDRに人民元が組み入れられ、COP21では中国が環境問題を外交戦術のカードにすり替えるべく着々と準備を整えている。他方、EUの政治・経済秩序にも綻びが見え始めている。さらに、中東・シリアの混沌は、人類史上例のない形態での戦争勃発を予告しているようである。2010年〜2015年までは主として資本主義経済の進化の行方に関心を持ってきたが、これからは、いわば、第二の冷戦といえるような政治的緊張の時代に突入するのだという予感を持っている(2015年12月5日)。