秋の日誌

Autumn Journal

城館の思索者

2018年3月25日(日) 晴れ

「おわりに」によると、著者の保苅瑞穂は「モンテーニュの書斎」の下準備に数ヶ月をかけたという。「群像」の連載には一年半、単行本の出版まで入れると、この本の執筆には「足かけ三年かかわったことになる」。その間、「群像」編集長の佐藤とし子は体調不良で編集長職を退任、連載終了後、パリの著者の元に訃報が届くという切ないエピソードも生まれている。三年というのはそれほどまでに長い期間である。一冊の本を作るのにかける時間としては、昨今の厳しい出版事情を考えると破格と言ってもいい長さだ。だが、それほどの時間をかけて準備をしなければ書き得ない内容の書物というものが確実に存在するということの証でもある。

パリ・ソルボンヌ大学の前にあるPaul Painleve公園にモンテーニュの銅像がある。組んだ右足のつま先は金色に磨かれていて、それは観光客が彼のつま先を触っていくからなのだが、そもそもは学生が試験前の願掛けにそこを撫でる習慣があったことから来ているという。ご多分に漏れずわたしも、この公園を通りがかった際につるつるぴかぴかの件のつま先に手を置いた記憶がある。

Montaigne-Dumonstier.jpg
Par AnonymeInconnu, Domaine public, Lien

とまれ、穂刈瑞穂のモンテーニュは実に興味深い人物で、十六世紀のフランスに生きた人間とは思えないほどの現代的な価値観の持ち主として描かれている。それはおそらく、保苅瑞穂という、ある日本人の仏文学者が、理想とする人間像の体現者としてモンテーニュを見ていることに起因するのだろう。わたしはそのリベラルで融通無碍でおおらかな人間観に大いに賛同するし、それゆえにこそ、保苅瑞穂が描くモンテーニュの人間的な魅力に心を惹かれる。白眉は「第八章 最後の抱擁」だ。「エセー」第三巻 第五章「ウェルギリウスの詩句について」で描かれるモンテーニュの恋愛観、性愛観を考察した章である。「若い頃のモンテーニュは性に奔放だった」「実際、若いモンテーニュは官能の享楽に全身で浸っていた」と保苅瑞穂は書く。モンテーニュの人間讃歌は、人間の動物的な側面をも内包した自然状態を素直に受け入れることで基礎づけられている。十六世紀のフランスにおいても、寝室の出来事やそれらを表現するあらゆる語彙はタブー視されており、その事情は現代の日本とそれほど大きくは変わらない。不用意に口にすれば周囲にきつく咎められ、悪くすれば牢に繋がれる危険性さえあるのがタブーを巡る恐ろしさであり、面倒臭さである。しかし、自然状態を礼賛し、人間が本来有する自由を擁護するモンテーニュにとって、その根本的な思想に無頓着なままでのタブーの横行は許しがたいものであったに違いない。

保苅瑞穂描くところの魅力的なモンテーニュに後ろ髪を引かれながら、本棚に置いたままだった堀田善衞の「ミシェル 城館の人 第一部 争乱の時代」のページをめくり始めた。解題で菅野昭正が指摘するように、堀田善衞がモンテーニュを主人公とした大長篇小説を書いた理由は「堀田善衞が乱世の小説家」だったからだ。開巻早々、カソリックとプロテスタントとの血腥い内戦で戦々恐々たるヨーロッパの情勢が描かれる。世俗界では、結局は「寄木細工の国々の封建君主」に過ぎない神聖ローマ帝国皇帝カール五世と、フランス王フランソワ一世、イタリアの都市国家に君臨する大貴族たち、当時世界最強の帝国と謳われたオスマン・トルコの覇権争いが絶えなかった。第二次世界大戦を生き延びた堀田善衞にとって、十六世紀フランスの争乱は、二十世紀に勃発した戦争の惨禍を思い出させるに十分なものだった。「戦場での殺戮や掠奪、強姦などが良い思い出になる筈はない」。戦争に一片のロマンも見出すことができない堀田善衞は、戦乱の時代にあって理性を重んじ、一方で、人間の自然状態を愛したモンテーニュに自分を重ねていたのかもしれない。 

モンテーニュの書斎 『エセー』を読む

モンテーニュの書斎 『エセー』を読む

 
ミシェル城館の人〈第1部〉争乱の時代 (集英社文庫)

ミシェル城館の人〈第1部〉争乱の時代 (集英社文庫)

 
ミシェル城館の人〈第2部〉自然・理性・運命 (集英社文庫)

ミシェル城館の人〈第2部〉自然・理性・運命 (集英社文庫)

 
ミシェル城館の人〈第3部〉精神の祝祭 (集英社文庫)

ミシェル城館の人〈第3部〉精神の祝祭 (集英社文庫)