秋の日誌

Autumn Journal

全世界理解のための原理

2018年3月30日(金) 晴れ

陽射しは眩しいが、まだ肌寒い陽気である。YPSYLONで遅い昼食をとりながら「ミシェル 城館の人」(堀田善衞)の続きを読む。

1551年、ギュイエンヌ学院を卒業したミシェルは、ギリシャ語とギリシャ哲学を学ぶためにパリに出た。カソリックとプロテスタントが宗教的な内戦を繰り広げていた時代である。ギリシャ語の修得は「聖書解釈の再検討を呼ぶ誘い水になりかねないという理由」で教会筋からは危険視されていた。それでもあえて、父ピエールはミシェルにギリシャ語とギリシャ哲学を修めさせようとした。これはミシェルをソルボンヌの神学部とは別の教育系統に組み入れることを意味した。当時は、後のコレージュ・ド・フランスである王立教授団がフランソワ一世の保護のもとにその活動を開始した時期である。ミシェルはそこで、ギリシャ・ローマの文献に基づく綜合的な人文学の講義を受けた。

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Par Claude Chastillon — Tiré de la Topographie francoise ou representations de plusieurs villes, bourgs, chasteaux, plans, forteresses, vestiges d'antiquité, maisons modernes et autres du royaume de France, Boisseau, Paris, 1655, Domaine public, Lien

王立教授団でミシェルはアドリアヌス・トゥルネブスという教授と出会う。

私(ミシェル)はしばしば、わざと彼(トゥルネブス)の生活とはかけ離れた話題に彼を引き入れてみたが、それに対する彼の観察と理解と判断は明快でかつ早く、健全であったので、いままでたとえば戦争や政治のことばかりを専門にしていた人ではないか、と思われるほどだった。

このように書くミシェルの「エセー」の一部分に堀田善衞は注目する。問題は「戦争や政治」である。

〈戦争や政治〉もまた人文学の重要な教養課程でなければならないのである。教会の教理やドグマが全世界理解のための原理であった時代は、すでに完全に過ぎ去っている。

「ベ平連(ベトナムに平和を! 市民連合)」の発起人のひとりでもあった堀田善衞にとって、教養とは、そして人文学とは、分別や判断力を養うための必須の基盤であり、それは現実の状況と密接な関わりを持たなくてはいけないものだった。アドリアヌス・トゥルネブスなる人物は、十六世紀のヨーロッパにおける複雑な政治外交に通じ、宗教戦争の趨勢を見極める冷徹な観察眼を持った人物であったようだ。同時に、ギリシャ、ローマ時代の古典に関する深い造詣の持ち主でもあった。

教養、それすなわち、「全世界理解のための原理を解き明かす」智慧の謂いである。堀田善衞は王立教授団に教育機関としての理想を見ていたのかもしれない。