秋の日誌

Autumn Journal

福音主義者たち

kichijoji le 30 novembre 2018, vendredi, beau temps

空気が冷たくなってきた。乾いた落葉を踏みしめながら、玉川上水緑道を駅に向かういつもの朝である。建物が取り壊され、更地になり、基礎工事が始まって、新しい建物ができる。毎朝、数分の観察でも数ヶ月が積み重なれば、いつの間にか街の風景が変わっている。新しい風景に馴染むと、かつてそこにあったものを思い出すことさえ難しい。僕たちはそうやって、風景の記憶を上書きしていく。

……ローウッドの慈善学校に送られたジェイン・エアは、ヘレン・バーンズという福音主義者の少女とかすかに心を通わせる。それはリード夫人の館にいた召使いベッシーとの交歓と同様、過酷な環境にあって、彼女にとってはささやかな慰めだった。しかし、そんなひとときの平和も、学校長であり、なおかつ厳格な福音主義者でもあるブロックルハースト氏の仕打ちによって無残にも打ち砕かれる。

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By F. H. Townsend, 1868-1920 - http://www.gutenberg.org/files/1260/1260-h/images/, パブリック・ドメイン, Link

十九世紀半ばに大英帝国で刊行されたシャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」(翻訳=河島弘美、岩波文庫)――、その冒頭部分の展開である。ローウッド時代のジェインはまだ九歳。無慈悲で不寛容な多くの人々に失望しつつも、彼女は生きる希望の探索を諦めない。朝の京王井の頭線で僕は大抵、このような旧時代の小説に読み耽っている。周りの人がするように、スマートフォンのディスプレイを眺める気にはどうしてもなれないのだ。せめて朝の時間くらいは現代を忘れていたい。いつも未来を追いかけている(あるいは、追いかけられている)感じの今の僕の生活は、確かにそれなりに愉快なものではあるけれど、インターネットがなかった時代と現在を比べてみて、果たして人が感じる人生の幸福感にどれほどの違いがあるのかと考えると、必ずしも技術革新が人類の幸福度の向上に寄与したとは、自信を持っては言えない。少なくとも、ジェインの時代の幸福と、(AIがかつての神の座を占めつつある)現代の僕たちの幸福の質には、それほど大きな違いはない。